ひな人形・ひな祭りの歴史〜その由来
◇上巳の節句
ひな祭りの起源は中国渡来の「上巳(じょうし)」の節句です。
上巳とは三月上旬の巳(み)の日のことで、人々は水辺に出て人形(「ひとかた」または「かたしろ」とも言います)に身の穢れを移して流すという風習(流し雛の原形)がありました。
日本では701年から三月三日に固定して宮中では水にちなんで「曲水の宴*」などの催しがありました。(現在、太宰府天満宮や上賀茂神社など各地で行われていますが、近代以降に復元されたもので、日付も三月三日に固定されている訳ではありません。)
【参考】中国での「上巳」、「曲水の飲(宴はでない)」についての記述が、日本に伝わる少し前の時代に成立したと思われる「荊楚歳時記」にあります。他の中国の文献によれば「流杯曲水の飲」が漢の時代にはあったとの記述が残っているようですが、その記述自体の時代が下るため、定かではありません。(
参考文献:東洋文庫324「荊楚歳時記」)
◇平安時代〜室町時代
紫式部や清少納言が活躍した平安中期の頃には、宮中や公家の家々では「ひいな」の遊びが盛んでした。それがいつしか「お祓いのための人形」と「ひいな遊びの人形」とが同一視されるようになっていきます。
室町時代になると、豪華に仕立てた男女一対の人形を贈答する風習が起こり、三月三日の夜は枕元において、翌日に神社でお祓いをお願いしてしまい込み、また翌年の三月に取り出すという習慣が定着しました。
◇江戸時代
雛人形の段飾りが起こったのは、江戸時代も中頃だといわれますが、これは主として武家 *や町人社会での風習で、宮中や公家ではずっと「ひな人形」と言えば男女一対の人形だったようです。
江戸時代後期頃になると、お祓いだのわざわいを防ぐなどという節句の意義は薄れてきて、女の子が幸せになるようにとの意味が中心になり、福をもたらすもの、縁起がいいものと飾り立てました。
江戸時代の流行の推移については「ひな人形の種類2」をご参照下さい。
2008年6月27日加筆訂正。
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